Webの波を彷徨っていたら,懐かしい人を発見した.
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遠い昔,歌舞伎町の奥の方の雑居ビルに入っている小さな英語塾に通っていた.この日記に嫌がらせのようなコメントを寄せる悪友たちと一緒に.
そこの塾はほんとに小さなところで,先生は塾長と「垣見先生」の2人しかいなかった.垣見先生が塾を辞めたタイミングで,そこの塾はたたんでしまったように記憶している.1992年か1993年くらいだったと思う.
当然ながらそこで習った内容なんてほとんど覚えていない.あの頃,もう少し英語を勉強していれば今頃こんなに苦労せずにすんだ...かもしれない.覚えているのは,毎週塾に行く前に歌舞伎町の50円ゲーセンで遊んでいたことと,塾の近くのカレー屋のカレーがやたら辛くて美味かったことくらい.
ただ,「垣見先生」の話で1つだけ強烈に覚えていることがある.
ヒマラヤで壮絶な雪崩に遭い死に損なった,という内容の話.
非常にリアルで迫力があり,ぐいぐいと話に引き込まれた.そのときに,どこの国の人だったかは覚えていなかったが,一緒に居た人が死んでしまった,と話していたように思う.また,目前に迫り来る雪を見て死を覚悟し,つぶやいた言葉が英語で"***"だった,というオチの話だったような気がするのだが,肝心のオチをどうしても思い出せない...
で,その垣見先生.
塾を辞めて何をやっていたのかと思えば,ネパールに移住して「OKバジ」としてとんだ有名人になっていた.
プロフィール
著書
公式?ホームページ
どなたかのブログ
どうやら,雪崩に巻き込まれて死んでしまったのはネパール人だったらしい.
上記のリンク先にあるように,ネパールに住み着く決心をしたのが1993年だそうだ.
先生が塾を辞めた時期と重なる.
#彼の経歴には「塾講師」ということは全く出てこない.
#ぼくにしてみれば,○心女子で英語を教えていたという事実も
#びっくりなんだけど...
彼は昨年(2009年),吉川英治文化賞を受賞したそうである.受賞理由は,以下のとおり.
「ネパールに居住し、住民から寄せられる様々な問題と向き合い、生活の自立を支援。」
(吉川英治賞)
...
さらに,もう1つの驚愕の事実.
垣見先生がおじいちゃんになっていた.70歳.
そりゃそうだよねぇ,もう2010年だし...ぼくらもそれだけ年を取ったんだね...
精神年齢はぼくも含めてみんなあの頃から全く変わっていない気もしなくもないけど...
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